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1976年に産声をあげた、あかね保育園。「地域に開かれた新たな保育園を、新たな保育活動を」と大きな目標を掲げての出発でした。
その前身は、大里家庭保育所という無認可の小さな私設保育所。女性の社会進出が叫ばれ始めた当時、幼い子どもを預ける所もなく、困り果てたお母さんたちは、あらゆるつてを辿って保育ママを探したり、何人かでグループをつくって共同保育を始めたりしていた時代でした。認可基準に満たない大里家庭保育所では、できる限り子どもたちによい環境をつくるべく、試行錯誤の日々。初代園長の自宅の庭に18帖と10帖の保育室、2帖弱の砂場を設けてのスタートでした。
開設当初は人手も足りず、お子さんが小学校にあがり手が空いた2名の保育スタッフと、子どもを預けられれば働きたいと申し出た調理スタッフ1名の寄合世帯。それでも徐々に入所児童の数は増え、市の保育室として認められるようになりました。人手や手狭な環境、受け入れ児童の年齢のばらつきなど無認可にはつきものの困難さもありましたが、その自由さを生かして、よいと思うものは何でもやってみられたのが創業期のよさでもありました。子どもたちの食事に自然食を取り入れてみたり、認可施設では受け入れが難しい障害をもった子どもを受け入れたりと、その後のあかね保育園の素地は、この頃に育まれたと言えます。
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1976年4月、いよいよあかね保育園は開園を迎えました。こう一言で書くと順風満帆な門出のようですが、開園の話が上がったのは、10ヶ月前の前年1975年の6月。ないないづくしの中、開園に漕ぎつけられたのは、地域の活動グループ、大里家庭保育所で苦楽を共にした仲間たち、保育所を巣立った子どもたちの保護者の皆さんからの励ましやカンパなどがあってこそ。そして、ひとり、またひとりと集まってきた若い保育士たちの志や、開園を待ちかねて工事現場に顔を見せてくれる保護者からの期待など、多くの方の想いが集まり、開園までのエネルギーを生み出したのだと思います。
当時は労働者グループが自主的に運営する認可保育園はあまり例がなく、自分たち自身にも運営経験がない状態。開園準備の傍ら、スタッフ全員で学び合いながら、保育目標など「あかねをどのような園にしたいか」を深めていきました。その中で、保育者の呼び方を“お姉さん”とすることになりました。これは、0〜2歳の子どもたちに何もわからないまま「先生」と言わせることへの違和感から。何よりも、子どもたちと共に、保護者も職員も「育ちあう保育」を目指そうとする自分たちにとっては、一緒に遊ぶ“お姉さん”という関係がしっくりきたのです。職員の間では、互いを相性で呼びあっていたので、お姉さんと共に、相性もそのまま使うことにしました。
もうひとつ、あかねが目指したのは「自主運営」。法人運営者である理事会が決めた方針を一方的に押し付けるのではなく、職員が目標を実現していく上でもっともよい運営方法を考え、実践していくことを指します。職員会議であらゆることを議論し、決定すること。保育、調理、事務など様々な仕事がある園内の役割をなるべく固定化しないこと。もちろん、認可保育園の運営には様々な制約がありますが、このふたつを大きな柱として、あかねは自分たちの目指す保育に向けて、あゆみ始めました。
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開園当初は社会的にも自由度が高く、多くが定型化されていなかったこともあり、手探りで様々な取り組みをしてきました。例えば、資金集めのバザー。園の運営や保育運動など、もの入りな開園当初の限られた予算を得る目的で始まり、ご近所から要らなくなったものを集めてまわる、パウンドケーキをたくさん焼くなど、職員総出で準備をして当日を迎えました。結果は多くの方が開店前から列をつくり、大盛況。打ち上げはビールを片手に、手伝ってくださった保護者も混ざってお互いの労をねぎらいました(今となってはなかなか想像がつきませんが…)。
保護者と職員の有志からはじまった行事もあります。野川公園のピクニックは保護者と職員の日々の会話から生まれたもので、その後コロナ禍まで毎年恒例となっていた行事です。参加募集のポスターを貼ったり、バスの時間を調べたり、現地で使う資材を運んだりと、保護者・職員混成の有志メンバーたちが準備を進め、いつしか100人規模のイベントに。園内の親睦をはかるだけではなく、保護者も職員も分け隔てなく協力しあい、「共に育ちあう」を体現するような素敵な行事となりました。そして、父母会の設立のきっかけにもなったのです。
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あかねには、「大きなおうち」というコンセプトがあります。子どもたちも、保護者も職員も、みんながひとつ屋根の下、子どもの育ちを支えあい、共に育ちあう。その根底にあるのは、ひとりひとりの「個性」を受け入れる姿勢です。わらべうたやまぜっこ保育など、現在の入園のしおりに記すひとつひとつの事柄も、これまでの実践や試行錯誤の中から生まれてきたものです。
異年齢保育である「まぜっこ保育」は、障害をもつ子どもを受け入れたことからはじまりました。当時は社会の仕組みとしても障害児の受入れ体制が十分でなく、前例もあまりない時代。私たち自身もそれまでの前提では括ることのできない子どもを目の前にして、どう関係をつくれるのかと、四苦八苦しました。現実に直面した私たちは、保護者と共に障害児保育について学んだり、行政とかけあったりしながら、どうあるべきかと向き合いました。何よりも私たちの保育観を大きく変えてくれたのは、毎日一緒に過ごした子どもたちでした。それまでは1歳児、2歳児と分かれていた保育室。それはあるべき「集団」を前提とした考え方でした。子どもたちの居場所を、一方的に与えられたあるべき「集団」としての空間から、一歳児、二歳児の壁をなくした同じ空間に変わることで、それぞれが個々に遊びを自発的に見つけ、あちこちで遊びを展開していく姿が生まれていきました。そして、ハンディを持った子どももその中に溶け込み、子ども同士が関係をつくり出していったのです。保育者が手をかけてあげる子には手を貸す。このことは、ハンディのある子にだけでなく、一緒に過ごすどの子にも当てはまることを学びました。こうして、子どもと大人が共に育ちあう関係が生まれていったのです。あかねでは、「まぜっこ保育」は「障害児保育」と切り離すことのできないものであり、原点であると考えています。
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あかね保育園は、2020年に園舎の建て替えを行い、新園舎に引越しをしました。新園舎は陽の光が差し込み、木のぬくもりを感じられる、あかねらしい園舎です。園舎の裏には、地域の方にお借りしている庭があり、子どもたちは草木や花々が季節の変化を感じています。通りに面した一階には、地域のかたが誰でも利用できる親子ひろばのスペースを設けています。
旧園舎は「アトチビル」と名前を変え、保育園以外の事業活動の拠点へと変わりました。園外事業のひとつは、親子ひろばの運営です。保育園に入る前の時期、お子さんと保護者の皆さんが互いに情報交換やコミュニケーションを交わす場をつくりたいとはじめた事業で、新園舎の1Fにある「子育てひろば
ひだまり」、アトチビルの「子育てひろば
あおいとり」と、2ヵ所で運営しています。もうひとつの事業は、地域コミュニティ事業。シェアスペースや親子イベントなど、地域に開かれた場をつくり、育ちあいの話を広げていこうとしています。地域コミュニティ事業はまだまだこれからの取り組み。多くの人と手を取り合い、その輪を広げていきたいと考えています。
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あかね保育園は、2026年で開園から50年を迎えました。振り返ってみると、卒園した子どもたちの数は700人、保護者や職員も考えると1000人近くの人々が、あかねと関わりを持ってくださったことになります。多くの子どもたちとの出会い、多くの地域の皆さまからのご協力、そのすべてがあかねを形づくってきました。そして、あかねのこれまでのあゆみは、「共に育ちあう」を実践した日々だったと思います。
50周年を期に、社会福祉法人あかね保育の会では、「人の行き来する場をつくる」を目標に設定し、「保育園事業」「園外保育事業」「地域コミュニティ事業」の3つの柱で、子どもの育ちの輪を広げていくこととしました。地域に根ざした保育園としてのあかねはそのままに、地域に開かれた場をこれまでのように様々な試行錯誤を通して生み出していきたいと考えています。
ひとつの保育園をひとつの法人で運営する体制だったため、これまで職員の中でも「法人としてのあかね」を意識することは多くありませんでした。そのため、職員会議で、職員それぞれが考える「こんなことをしたい」や「あかねらしさ」を発表しあう場を持つことにしました。職員からは、「あかねの特色である食を生かした惣菜店」や「誰もが気軽に立ち寄れる“サードプレイス”のようなカフェ」まで、様々なアイデアが出されました。また、「温かさ」や「みんなで話し合って決める」など、これまでのあかねらしさを確認しあう光景も見られました。普段の保育から離れ、職員同士が自分の意見を伝え、相手の意見に耳を傾ける場を持つことで、お互いを発見しあい、同じ価値観を共有する仲間であることも確認できました。
あかねの大切にする価値観
「大きなおうち」という言葉には、子どもの育ちを共に支える仲間というだけでなく、関わりあう人々を家族と捉える意思が込められています。
子どもたちにとってのひとつのコミュニティであると同時に、保護者や職員、地域の方などにとってもぬくもりを感じられる場でありたいと考えます。
あそびを通して、子どもたち同士が育ちあうのと同じように、子どもと大人、大人と大人同士もまなび、育ちあうものです。
お互いの理解に努め、リスペクトしあうこと。
その人の背景にある事柄を見つめること。
そして、議論し、分かちあうこと。
自主運営からはじまったあかねの根幹は「育ちあい」です。
わらべうたが子どもの自然な姿に合わせたあそびであるように、子どもたちひとりひとりの個性に合わせた育ちの形があります。
そして、子どもたちを取り巻く大人たちにとってもひとりひとりが大切にする想いや活躍する場があります。
子どもも、大人も、みんな横ならび。
子どもも、大人も、みんなが主人公です。
まずはやってみる。それが開園当初のあかねの姿でした。
時代が変わっても、あかねのチャレンジ精神は変わりません。
決まりきったことはなく、何事も変わりうる余地がある。
まぜっこ保育がそうであったように、新しい現実は、私たちをよい変化に導いてくれます。
みんなで話し合い、一歩ずつあゆみを進めていきます。
職員会議を経て、あかねの大切にする価値観をひとつの形にまとめました。「大きなおうち」を上位のコンセプトに置き、それを支える要素として「共に育ちあう」「ひとり、ひとり」「柔軟で、のびやか」の3つを置いています。「大きなおうち」は、これまでも保育園の運営指針としてきた言葉です。保育園をひとつのおうちに見立て、子どもたちの育ちあいを信じること。そして、保育園とご家庭の24時間をつなぎ、子どもの育ちに関わる環境をひとつにしていくこと。「あかねの大切にする価値観」では、より範囲を広げ、子どもの育ちを支える大人たちにとっても、ぬくもりを感じあえる場にしたいという想いを込めています。そして、在園児だけでなく、保育園に入園していない子どもたちにとっても、巣立っていった子どもたちにとっても、あかねがいつでも気軽に立ち寄れるような、温かい場でありたいというメッセージでもあります。
「共に育ちあう」も、これまでの運営指針のひとつであり、子どもたちと同じように、大人たちも互いに育ちあうことを明記しました。子どもたちが育ちあうときには、まっすぐに相手を見つめ、真似をしたりけんかをして自分の意見をぶつけあったりして、あそびやまなびを共有していく姿が見られます。大人も同様に、それぞれの人格や考えを尊重し、わかちあうことが大切です。
育ちあうことの前提には、「ひとり、ひとり」の個性を認めることがあるはずです。ただ職場を共にしているだけでなく、個々人の想いや違いを理解し、それぞれが人生の主人公であってほしいと願います。
最後に、「柔軟に、のびやか」。これは、かつて20年周年記念誌に書かれた言葉です。あかねが日々の試行錯誤の中でしなやかに変化してきたこと。多くの子どもと向き合い、保育のあり方を柔軟に変えてきたこと。新しいことに取り組んでいく、これからのあかねにとっても、大事にすべき姿勢です。
これらの価値観をもとに、あかね保育の会は、地域と共に、そして様々な分野の皆さまと共に、子どもの育ちの輪を広げていきたいと考えています。
保育園職員や親子ひろばの職員、コミュニティ事業の運営スタッフなど、さまざまな役割の方に携わっていただいています。
正社員やパートタイム、業務委託、業務提携など多様な関わり方がありますので、まずはお気軽にお問い合わせください。
旧園舎(アトチビル)の活用やコミュニティ事業を一緒に盛り上げていただける事業者(社会福祉法人、NPO等含む)・個人の方からのご連絡もお待ちしております。